昨日、京都の一つの歴史が幕を閉じた。
私達の若い頃、十代から二十代の頃だな、、
新京極にある「詩の小路ビル」と言えば、お洒落と言うか、そう言う事を軽く超えた存在感たっぷりのカルチャービルだった、、
詩の小路ビルの中にある店舗で働く事が、当時の尖った若者達には一つのステイタスだった様な気もする。
何故なら、変な話し東京の渋谷や原宿、恵比寿や代官山にあったイカした店がその名のもと詩の小路ビルに入っていたからだ、、、
当然店の看板は東京そのままである。
なんせ当時は今の様な時代ではなく、とにかく手探りの時代、、、
そんな中でTokyoと言う言葉は地方都市にとっては憧れであり、また嫉妬でもあった…
好きと正直に言う者もいれば、アンチTokyoを言う者もいた。
そんな中、詩の小路ビルは東京のショップの看板を取り入れ、更に地元の尖ったショップやマイノリティなスタイルの店も受け入れていた。
結果、あのビルは一つの文化になっていた、、
特に音楽好きライヴ好き、クラブ好き、バー好きと完全に一般社会と交わない、いやいや交わりにくい人々があつまり、盛り上がっていた。
それぞれのショップで働くスタッフ達もカッコ良かった!
仕事が終わると平日でもガンガン飲み歩き朝まで遊ぶ…
次の日ズルズルなままショップに立つ事なんてへっちゃら、酒臭いなんてどーって事ないわけですよ。
逆にそれがカッコイイと錯覚を起こさせる程勢いがあった!
それぞれの店で掛かっている音楽もパンクにスカにレゲエにヒップホップ、ハウス、、、
まぁとにかくぶっちぎりスタイルを全面的に押し出し、そう言う方皆さんいらっしゃい!と言わんばかりのハチャメチャさ…
今だから言うが正月は酒を飲みながらの各店舗営業、、、お客さんに振舞い酒あり!と完全に反社会的なビルだったのだ…
結果、、いろいろとあり酒禁止になりました。。
おっと話が…
その詩の小路ビルの中にビルオープン当初?から店舗を構えていたのが今で言う「ウルトラマート」だ!
ガラクタ貿易としてガンガンに尖っており、その後店名をウルトラマートに変えたわけです。
25年は同じあの場所にあったと記憶する…
ウルトラマートはアメカジを全面的にドドッと出し、ひたすらアメリカに買い付けに行っていた、、、
当時の若者には新鮮さ抜群、とにかくウルトラに行けば何か売ってるでしょ、何か面白い物売ってるでしょ、みたいな感じで口コミで広がって行った!
そりゃ当然スタッフ達もカッコ良かったわけね。
はーーーん、京都にもこんな人達いるんだ… てね、、
スタッフのカッコ良さに関しては当時の詩の小路ビル全体がカッコ良かった!!
その後、時代とともに新しい文化が京都にもたくさん入ってきた、、
ショップの数も増え、情報も増えすぎ、似たり寄ったりの店がだんだんと河原町を変えて行った、、それは当然良い事なのだろうと理解はするが…
若干薄っぺらな事も増えすぎただろう。。
あーー、あの頃あの時代、ヤンチャな男も女も詩の小路ビルに集まり働き、遊び、時間を潰し、何かを発信していた。
私も詩の小路ビルにあった店舗で働いた!
今振り返るととんでもない方々が働いていたビル…
凄すぎる…
そしてその中、昨日までその1ページを飾り続けた最後のトリデが幕を閉じた。
かなり寂しい、、、
「ウルトラマート」と言うショップが無くなったのだ…
あの時代を知る者は皆心寂しい事だろう…
とにかくあの看板にお疲れさまと言いたい。
とりわけ私はガラクタ貿易時代からいろいろと先代にはお世話になっていた、、
今の自分があるのも間違い無く、先代、故コージさんの一言があったからだとつねに思う。
18歳で北白川の京都芸術短期大学(現在の造形大学)に入り、恐怖の安田荘に住み、詩の小路ビル内のシュガーヒルで働き、フィッシュ&チップスを造り、更にコンテナ、、、夜な夜なDJ…
完全に反社会派ストリート系?を貫いた私も、すっかり44歳…
まだまだ頑張ります。はい。
ウルトラマート、ありがとう!!!
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hiroshimakino66